死ぬ理由よりも生きる理由が少なくなってしまった

今日も全く仕事についていけず、自分の存在意義がわからなくなった

 

単純な繰り返しの作業すらもできないのか...

 

どこにも居場所なんてない...

 

そんな暗い気持ちで、仕事の間じゅういっぱいでした

 

割り切ろうと思えば割り切れるんです

 

楽天家じゃないからつらいけど、やろうと思えばできるはずなんです

 

お金のため 生活のためって割り切ることが

 

ありがたいことに、仕事をできないことを責めてくる人もいないし、むしろ助けてもらってるし、人間関係はわりと良好な職場で、わずらわしいことも少ないし

 

きつめのところも経験してるから、ほんとにこの状況がありがたいのはわかってるのに、それでもつらい、耐えられないと思ってしまうのはたぶん私の性格のせい

 

子どものころから、

「好きなことに没頭する」

「友達と楽しく遊ぶ」 

「高価なプレゼントをもらう」...

 

そういったことよりなにより

「人から褒められる」

「人から頼りにされる」

「人から自分の能力や人格や努力などを認められる」

ことに強い喜びを感じるタイプでした

 

それが全くなくなった今の状態が、つらくてしょうがない

 

簡単な仕事さえできずに、周りに迷惑をかけてばかりの自分...

何にも貢献できない、お荷物の状態...

 

どんなに好きなことをしても

仕事におけるストレスが昔に比べて軽減しても

 

結局満たされない心が、その代替品として過食衝動に駆られるまま食べ物を欲して、それでも満足できなくなると、お酒を大量に飲まないと心が壊れそうになって...

 

別に仕事じゃなくても、他のことで心を満たしてくれるものがあればいいんですけど、わたしの場合、たぶん発達障害の影響で、ほんとうに何をやってもふつうの人と同じようにできなくて、要は死ぬほど要領が悪いんです

 

一番好きな読書でさえ、楽しむことはできるけど、めっちゃ本読むの遅いんです...

 

人と同じようにできないから、せめて変な人と思われないために、人と積極的に関わることを避けてきたから、誰も親しい人がいなくて孤独だし

 

死ぬ理由よりも生きる理由が少なくなってしまった

 

それでも数年前までは、「メイクや髪型を変えて、自分に自信が持てるようにしよう」とか、「面白そうな本や映画の作品にたくさん触れて、心が豊かになるような経験をたくさんしよう」とか、ほんのちょっとしたことでも、希望をもって頑張ろうと思うことができていたのですが...

 

最近そういうことをやりつくしてしまって、たぶんこのまま、何も変わらないまま、20代の10年間があっという間に終わってしまったように、どんどん年だけ取っていくんだとわかってしまったんですよね

 

「すごくショックなことがあったから死にたい」

ではなく

「死ぬ理由よりも生きる理由が少なくなってしまったから死にたい」

 

これが今の正直な気持ちです

 

とりあえず明日は仕事に行くだろうから、気持ちが少しでもいい方に傾いていてくれたらいいなと、どこか他人事で、舞台を観劇するように、主人公である自分の心の変化や行動を鑑賞するかんじで終わりたいと思います